【パワプロ2024‐2025】吉原正喜(1940年)



吉原正喜(1940年)

熊本県立工業学校→東京巨人軍 (1938~1941)

■成績 .230 1本 27点

■主な記録
東西対抗戦出場 4回(1938年~1941年)
野球殿堂特別表彰(1978年)

■2020年からの変更点
ミート+8、走力+1、肩力+4、捕球+22
守備力-26
ホーム突入、ホーム死守追加
チャンスC、送球Dへ下方
ミート多用、積極盗塁削除

27番の系譜の原点

捕手にしては珍しい走攻守揃った選手。
高校時代には川上哲治氏とのバッテリーで甲子園で準優勝を果たすと、
38年に川上も一緒という条件に東京巨人軍へ入団。
入団当初はヴィクトル・スタルヒン氏の豪速球を捕球出来ずにいたが、
持ち前の明るさと身体能力を駆使してスタルヒン氏や沢村栄治氏など
投手陣からの勝ち取ることに成功。
レギュラーを掴むと守備面以外でも打撃面では
41年にリーグ6位となる打率.250、走塁面では40年に30盗塁を決めるなど
38年秋季から41年までの巨人の4連覇に大きく貢献した。

しかし応召ため、41年をもって巨人を退団。
戦後の巨人再建を夢としていたが、44年のビルマにて戦死。
没後はその功績を称えて、78年に野球殿堂入りを果たした。

■特能等解説

捕球 送球D

npbstats.com

2020作成時より大幅上昇。
独自の指標データを出しているNPB STATSでも
スタルヒンの球を捕球できなかったルーキー時代から
エラー率が年々向上している事が見受けられる。
その代わり、間をとって送球を前回から下げる形に。

キャッチャーA、ムード◯
持ち前の明るさからなるリーダーシップの高さから。
球界の頭脳というよりはムード◯との組み合わせがしっくりくる印象。

■備考
2000年代から一気に遡り40年代の選手を作りました。
白黒画像の切り抜きってできるのかなという検証みたいなのも
兼ねてたんですが、意外とカラーと大差なく切り抜き自体はできました。
相変わらず時間がかかるのでコナミには早めにサクセスでの
所属チーム設定の緩和をして欲しいところです。