【パワプロ2022】山内和弘(1957年)

山内和弘山内一弘](1957年)

愛知県立起工業高等学校→川島紡績
毎日オリオンズ毎日大映オリオンズ (1952~1963)
阪神タイガース (1964~1967)→広島東洋カープ (1968~1970)

■成績 .331 29本 81点

■主な記録
首位打者 1回 (1957年)
本塁打王 2回 (1959年、1960年)
打点王 4回 (1954年、1955年、1960年、1961年)
最多出塁数 4回(1954年~1957年)
最高殊勲選手(MVP) 1回 (1960年)

シュート打ちの名人

卓越した打撃センス持つ名選手。
地元の中日ドラゴンズへの入団を憧れ、
テストを受けたものの二次テストで不合格。
軟式の強豪であった川島紡績に入社。
都市対抗野球大会に出場し、
そこで塁審をしていた元阪急の井野川利春氏の勧めなどもあり、
1951年の11月に毎日オリオンズテスト生として入団した。

入団1年目は熱心な姿勢と才能を見抜いた若林忠志2軍監督より
2軍戦で積極的に起用され、6月には1軍昇格。
44試合出場ながら打率.336を記録する活躍をみせるが
2年目は黄疸による長期離脱をしてしまう。
しかし3年目は1軍全試合出場し、97打点で打点王を獲得。
更には当時のパ・リーグ記録となる80四球も記録した。

以後はオリオンズの中軸として
50年代のパ・リーグを代表する選手として活躍。
60年には榎本喜八氏、葛城隆雄氏らとともに
大毎ミサイル打線の一員として50年以来の
10年ぶりのオリオンズのリーグにも貢献した。

しかし63年、10年選手精度にて移籍を模索していた中
精密機械小山正明との世紀の大トレードにより阪神タイガースへ移籍。
活躍の場を当初憧れた中日のいるセ・リーグへと移す事となった。

※2020年版の記事の内容から一部変更。

■2020からの変更点
守備力+3
ミート-1、走力-1、肩力-2
対変化球○追加

■特能等解説

一部は2020の時の記事を参考にして下さい。

アベレージヒッター、ラインドライブ、弾道4

守備の間を抜くライナーを放ち、
単打でも次の塁をうかがう意識の持ち主という事で
やはりラインドライブのがいいのでは思ってたのだが、
長打率の高さとキャリア唯一の首位打者という部分を考慮して
弾道4とアベヒのままにしました。
ぶっちゃけ似合ってない感は感じてるけど、
100%納得いく答えが出せない感じ。

内角必打、対変化球○
個人的には金特を入れてもいいのかなとも考えたが、
内角に特化した選手という訳でもないので、
代案として各種変化球への対応力の高さを踏まえて
対変化球を追加。