【パワプロ2022】森弘太郎(1941年)

森弘太郎(1941年)

一宮中学校→関西大学(中退)→名古屋鉄道管理局
阪急軍、阪急ブレーブス (1937~1943、1946~1948)→東急フライヤーズ (1949)
西日本パイレーツ (1950)→川島紡績

■成績 防御率0.89 30勝8敗

■主な記録
最多勝利 1回 (1941年)
最高勝率 1回 (1941年)
東西対抗戦出場 2回(1940年~1941年)
ノーヒットノーラン 1回 (1941年10月27日 対名古屋戦)

阪急唯一のシーズン30勝投手

職業野球黎明期の阪急軍を支えた名投手。
高校・大学と野球続けるも中々目が出ず、
社会人野球の名古屋鉄道局時代に巨人との交流試合で
好投した事がキッカケとなり37年に阪急軍に入団。

しかし入団後はスピードもなく
これといった決め球もなかった森は
登板機会に恵まれずにいたが、
40年に突如覚醒。以前スピードはないものの、
コントロールの良さから打たせてる投球を確立し、
41年に阪急唯一の30勝を上げて最多勝を獲得した。
しかし43年に成績不振によって離脱すると
そのまま戦争に突入。終戦後に阪急に復帰するが結果がでず
49年に阪急時代の恩師である井野川利春監督を頼って
東急に移籍するもかつての投球を取り戻すことはできず
翌年西日本パイレーツで現役を終えた。

引退後は社会人野球の川島紡績に入団し
監督となった際にミスターオリオンズとなる
山内一弘氏を育てた。しかしその後66年に他界。
戦争を生き抜いた伝説の投手は51歳と若さとこの世を去ってしまった。

■特能等解説

尻上がり
以前40年版を査定した際には採用。
改めて成績を確認するとそこそこ打たれてたので見送りに。

逃げ球
本塁打率0.081
41年の規定投球回到達者の平均が0.143くらいなので
低い方だと思う。

牽制○ 打球反応○
守備が上手い。牽制死も何度かあり。

根性○
以前の40年版の時も思ったのですが、
スタイル的に似合わないとは思うのですが、
3日連続投球とかあるので流石に入れておきました。

ゴロピッチャー
代名詞である打たせて取るスタイル。
逃げ球にさらなる補正のような形にはなるが、
まあ化け物みたいな成績なんで。

慎重打法 選球眼
この時代の投手の打撃成績にしては
四球と三振が多め。IsoDも0.165と高め。

■備考
以前のが結構検索とかされたので作ってみました。
一応40年版の再査定版も作成してたのですが、
あまり41年と代わり映えがしなかったのと
オンスト絡みのちょっとしたミスをしてしまったので
今回はなしとなります。需要等があれば考えます。