【パワプロ2022】村上公康(1974年)

村上公康(1974年)

愛媛県立西条高等学校
立教大学 (中退)→日本楽器
西鉄ライオンズ (1967~1971)
ロッテオリオンズ (1972~1977)

■成績 .246 9本 34点

■主な記録
ベストナイン 1回(1974年)
ダイヤモンドグラブ賞 1回(1974年)
オールスターゲーム出場 3回(1969年、1974年、1975年)

ロッテ初の優勝捕手

強肩強打の捕手。
第二回のドラフト会議にて4位で西鉄ライオンズに入団。
2年目から控え捕手として1軍に呼ばれると、
4年目の69年には正捕手となり、キャリアハイの14本塁打を放った。
しかし70年の黒い霧事件の影響で活動停止処分を受け、
以後復帰するものの出場機会は減少。
そして72年に榎本喜八氏とのトレードでロッテオリオンズへ移籍。
村田兆治氏のフォークをノーサインで捕球できる貴重な存在として
正捕手に定着すると74年にはリーグ優勝にも貢献し、
ベストナインとダイヤモンドクラブの当時獲得を果たした。

その後長らくオリオンズ正捕手として活躍し続けるものの、
77年に持病の膝痛が悪化もあって現役を引退。
引退後は解説などもこなしつつも地元愛媛に戻り、
スポーツ用品店の社長や少年野球チームの監督など
愛媛の野球発展に貢献した。

■特能等解説

チャンスB
73年は得点圏打率.311と高い数値を記録。
74年のデータは不明だが諸々の印象を考慮。

内野安打◯
73年の内野安打数12本。意外と足で魅せる部分もあった。

対左投手F
通算58本塁打の内、左から打ったのは7本のみ。