小山正明(1964年)
兵庫県立高砂高等学校
大阪タイガース、阪神タイガース (1953~1963)
東京オリオンズ、ロッテオリオンズ (1964~1972)
大洋ホエールズ (1973)
■成績 防御率2.47 30勝12敗
■主な記録
最多勝利 1回(1964年)
最高勝率 1回(1962年)
沢村栄治賞 1回(1962年)
野球殿堂競技者表彰(2001年)
世紀のトレードにより東京へとやってきた精密機械
精密機械と呼ばれた制球力を武器の名投手。
62年にMVP級の活躍から一点、63年は不調に終わってしまった小山。
オフにはオリオンズの山内一弘氏とトレードの噂が浮上。
小山への連絡がないまま噂の報道だけ加速し
チームへの不信感を募らせた小山は球団社長の家に
赴き真意を確かめると自らトレードを承諾。
移籍後甲子園より狭い東京球場を本拠地となる事に
打ち上げて打者を打ち取る小山は不利と思われたが、
王貞治氏への対策で覚えたパームを主軸にゴロを打たせるスタイルへ変更。
阪神時代にはなし得なかった30勝を記録する事ができた。
■特能等解説
オリ変
シュート方向へ変化する早いパーム。
2種にする事でカーブを強めにしました。
ノビD、ゴロピッチャー、軽い球、変化球中心
阪神時代は直球とカーブを軸に戦う投手であったが、
上記の通りオリオンズではパームが主軸に。
このため、ノビや軽い球などの要素はオミットする形に。
がかといって64年の被本塁打率は0.648と62年の被本塁打率0.486に
比べると上がってはいるためゴロピッチャーの採用は控える形に。
奪三振率は62年は6.90に比べて64年は4.81と順当に落ちてるんで、
ゴロPもアリかなとは思ったんですけどね。
あと最初はゴロPと軽い球の両採用も考えたのですが、
中々に違和感ある組み合わせかなと思ったので控えました。