米田哲也(1968年)
鳥取県立境高等学校
阪急ブレーブス (1956~1975)
阪神タイガース (1975~1976)
近鉄バファローズ (1977)
■成績 防御率2.79 29勝13敗
■主な記録
最多勝利 1回 (1966年)
最優秀防御率 1回 (1973年)
最優秀選手 1回 (1968年)
野球殿堂競技者表彰(2000年)
人間機関車
驚異的な登板数を投げた事からガソリンタンクという異名を持つ名選手。
元々捕手であったが高校から投手に転向すると、
1年の秋から注目を集めると2年時には夏の甲子園にも出場。
高校卒業後は大学進学を考えていたが、
阪神などとの二重契約もありつつ結局高校のチームメイトと
共に阪急ブレーブスに入団。
1年目から9勝を上げると2年目には21勝を記録した。
その後は梶本隆夫氏と共にヨネカジコンビとしてチームを牽引。
62年に200勝を達成すると68年にはキャリアハイの
29勝を上げてMVPも獲得した。
70年台になると少し衰えが出始めたが、
シュートを内角に投げる投球術で
71年に300勝達成、73年には最優秀防御率を獲得した。
しかし75年に山口高志氏の入団に伴い登板回数が減少。
本人の志願によりかつて二重契約でした
阪神タイガースへ移籍することとなった。
■主な記録
ヨネボール
カーブ回転のかかったフォークとされる米田の決め球。
個人的にはパワーカーブとかスラーブなのかなと思う。
今回はデフォではなくオリ変で再現。
デフォよりカーブ方向の色を強めにしてみた。
球速、球速安定、ノビC
速球派剛腕投手。具体的な球速が分からなかった時代だが、
150キロ台だったり160キロ台だったりと言われたり。
今回は球速に対しては控えめな本人が発言した152キロに。
低め○
ヨネボールのコントロールなどを含めた
本人のコントロールへの意識の高さ。
■備考
68年米田各種データ(手動で計算したんで間違えてたらすいません)
米田被本塁打 0.697
リーグ被本塁打 0.921
米田被打率 .237
リーグ平均被打率 .243
許生還率 0.26
LOB% .791
与四球率 2.839
各回失点数
1~2 33点
3~6 45点
7~ 30点