



張本勲(1976年)
広島県松本商業高等学校
浪華商業高等学校
東映フライヤーズ
日拓ホームフライヤーズ
日本ハムファイターズ(1959~1975)
読売ジャイアンツ(1976~1979)
ロッテオリオンズ(1980~1981)
■成績 .355 22本 93点
■主な記録
首位打者 7回(1961年、1967年~1970年、1972年、1974年)
最高出塁率 9回(1962年、1964年、1967年~1970年、1972年~1974年)
ベストナイン 16回(1960年~1970年、1972年~1974年、1976年、1977年)
最高殊勲選手 1回(1962年)
憧れの巨人へやって来た安打製造機
スプレー打法と呼ばれる左右への打ち分けで安打を稼いだ打撃王。
76年は東映時代の主力を放出しイメージ一新を狙う
日ハムフロントへの不信から移籍を希望し、
V9の終了と同時に最下位に沈んでいた巨人へのトレードが成立。
プロ入り史上最も体絞ってシーズンに望むと、
長嶋茂雄氏引退以降不在であった王貞治氏の相方として
OH砲を結成すると度重なる怪我に悩まされがらも、
東映時代ではやらなかった
チームバッティングもこなすなど献身的のチームに貢献。
首位打者は逃したが、72年以来となる打率.350台に乗せるなど
巨人の優勝にも立派に貢献した。
■特能等解説
インコースヒッター
該当年ではないかも知れないが、中々な内角打ちを披露。
ベースからやや離れた独特なフォームという事もあって
結構得意だったのではないかと推察して採用。
サヨナラ男
76年サヨナラ打1本。
ちなみに前年は2本本塁打で打っている。
フォーム
現状充てがっているフォームが恐ろしく気に入らないので
かなり真面目にそれっぽいフォームを模索。
色々考えた結果ワンボーロンのフォームが一番しっくり来たので
これにしてみた。固有フォームくれ。
■備考
土曜日ですが日曜日の喝おじさんです。
歳と病気もあって大分げっそりして
弱々しい姿になってしまったが、
なんだか往年のがっちりした姿に戻ったみたいで
一安心しました。いつまでも元気に居てほしいです。