【パワプロ2022】石井弘寿(2002年)

石井弘寿(2002年)

東京学館高等学校
ヤクルトスワローズ東京ヤクルトスワローズ (1996~2011)

■成績 防御率1.51 6勝2敗5セーブ

■主な記録
最優秀中継ぎ投手 1回(2002年)
オールスターゲーム出場 2回(2002年、2005年)
アテネオリンピックの野球競技・日本代表(2004年)
第1回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表(2006年)

ロケットボーイズのゴリ

キレのあるスライダーを武器の左の剛腕投手。
高校時代当初は無名であったが、
後にプロでもチームメイトとなる相川亮二
見に来ていたスカウトの目についたことで注目を集め、
95年のドラフトで4位指名でヤクルトに入団。

先発投手でデビューするものの、
制球難もあって早々に中継ぎ配置転換。
その後、怪我によって2年ほど1軍で登板できなかったが
2000年に中継ぎや谷間の先発として頭角を現し、
2002年には同じく中継ぎであった五十嵐亮太氏と共に
ロケットボーイズという愛称が付けられ、
リーグ最多で金田正一氏の球団記録超えとなる
69試合に登板し、最優秀中継ぎ投手に輝いた。

その後、アテネオリンピック野球日本代表や
第1回WBCの代表などに選ばれるなど
代表クラスのセットアッパーになったものの
WBCの予選で左肩痛を発症し、オフに手術。
以後過酷なリハビリを続けて、
2010年に4年ぶりに1軍春季キャンプを迎えたが、
レーニング中に右足親指を裂傷。
開幕後に2軍で復帰したが、
防御率11.12と大炎上してしまい2011年に現役を引退した。

引退後はそのままヤクルトのコーチとして
現在までチームに関わっている。

■特能等解説

対左打者G
対左打者被打率.282 被本塁打5本

ノビB
ストレート被打率.190

■備考
内容的には骸行きでもよかったですが、
2002年版は意外と少なかったのでこちらに上げておきます。