【パワプロ2022】松原誠(1977年)

松原誠(1977年)

埼玉県立飯能高等学校
大洋ホエールズ横浜大洋ホエールズ (1962~1980)
読売ジャイアンツ (1981)

■成績 .283 34本 110点

■主な記録
オールスターゲーム出場 11回(1966年~1972年、1974年~1976年、1978年)
オールスターゲームMVP 1回(1975年 第2戦)

ミスター・ホエールズ

ミスター・ホエールズと呼ばれた強打型内野手
1962年に大洋ホエールズへ捕手として入団。
1年目から数試合出場したが、同時に捕手としての
限界を感じて内野手にコンバート。
その後、岩本尭打撃コーチの指導の元、打撃が開花し
65年から外野にコンバートした
近藤和彦氏の後釜として一塁のレギュラーに定着。
以後桑田武氏やディック・スチュアート氏などとの兼ね合いから
内外野の様々なポジションを守ったが、自慢の打撃力でレギュラーを死守。
王貞治氏という偉大過ぎる存在が故にタイトルとはどうしても縁がなかったが
70年代の大洋を支え、オールスターにも11回出場した。

現役末期の80年には2000本安打も達成し、
更には日本プロ野球選手会を社団法人化させ、
選手会長として雇用者としての選手の立場を守るために動いた。
しかしこの事によって球団と関係が悪くなってしまい、
引退を考えていたが巨人の藤田元司監督に口説かれて
81年に巨人へトレードにて移籍。大洋時代には出来なかった
優勝と日本一を果たすが、かつての打撃を取り戻せず同年で現役を引退。

引退後は古巣である大洋や巨人、更には名球会で知り合った
山本浩二氏との関係で広島東洋カープを歴任。
しかし選手にあまりにも高い理想を求めて打撃不振へと落としてしまう事から
壊し屋などとも呼ばれる事があったが、新井貴浩氏や駒田徳広氏など
自身と同じ名球会クラスの選手の育成にも関わっている。

■特能等解説

高速チャージ、守備職人
伝説の中河美芳に次ぐタコ足捕球。

固め打ち
74年にリーグ1位の猛打賞17回、78年にはリーグと2位となった
同じく猛打賞17回を記録。また75年にはマルチ安打42回を記録しており、
かなり固めて打てる選手である事がわかる。

ラインドライブ
77年は本拠地がまだ狭い川崎球場であったため
今回は弾道3で対応。