【パワプロ2022】パンチ[佐藤和弘](1994年) 

パンチ[佐藤和弘](1994年) 

武相高等学校亜細亜大学熊谷組
オリックス・ブレーブスオリックス・ブルーウェーブ (1990~1994)
茨城ゴールデンゴールズ→熊球クラブ

■成績 .273 0本 2点

■主な記録
なし

男気あふれるパンチ語録

あのイチローと同時に誕生したもう1人のニックネームの選手。
現在ではパンチ佐藤という名前で活動している
タレントとしてのイメージが強い人物だが、
亜細亜大学では4年時にキャプテンを努め、
ベストナインを3回も獲得。
その後、社会人野球の熊谷組に入社し
都市対抗野球ベストナイン
大会史上2人目のサイクルヒットを記録。
その実力を評価され、89年のドラフト1位で
オリックスに入団した。

1年目から即戦力として期待され、
準レギュラーとして試合で度々起用されるも
好不調の波が激しく、また送球難なども目立ち
中々レギュラー定着とはならず、
4年目の94年に故障もあって出場機会が激減してしまった。

再起を図る5年目の94年に仰木彬監督らの勧めで
鈴木一郎氏がイチローに変更したのと
同じタイミングで登録名をパンチに変更。
イチロー氏を筆頭に田口壮氏や高橋智氏など
内外野の選手層がより一層暑くなっていたため
怪我前以降のように試合に出れはしなかったが、
キャリアで2番目にいい打率.273を上げて
本人も手応えを感じてはいたが、シーズン終盤に
仰木監督から直接引退勧告を受けて引退を決意。

この時仰木監督にインタビュー等の野球選手とは思えない
発言の上手さから芸能界行きを勧められ、
引退後はタレントに転身。解説業も行ってはいたが、
身体能力を活かした番組やドラマなどに挑戦して評価され
次第にそちらの比率が増えていくこととなった。
しかし野球の思いも失われておらず、
茨城ゴールデンゴールズへの入団や
武蔵ヒートベアーズの宣伝本部長など
自身の立場を活かした形で野球界に貢献している。

■特能等解説

ヘッドスライディング
引退試合でプロ初の三塁打

代打○
具体的な数字が分からなかったので見送り。
雰囲気的には入れても良さそう。