山崎裕之(1980年)
埼玉県立上尾高等学校
東京オリオンズ、ロッテオリオンズ (1965~1978)
西武ライオンズ (1979~1984)
■成績 .294 25本 77点
■主な記録
ベストナイン 5回(二塁手部門 1969年~1971年、1974年、1980年)
ダイヤモンドグラブ賞 3回(二塁手部門 1977年、1980年、1981年)
日本シリーズ優秀選手賞 1回(1974年)
オールスターゲームMVP 1回(1973年 第3戦)
巧打、巧守の職人技
オリオンズ入団時は長嶋二世と呼ばれ
高木守道氏を参考に堅実な守備と力強い打撃で
オリオンズの中心選手となった山崎。
しかし78年に監督に就任した山内一弘氏の
構想から外され、トレードでクラウンから
変わったばかりの西武ライオンズに移籍。
田淵幸一氏、野村克也氏と共に
根本陸夫監督率いるライオンズを
生まれ変わらせるべく奮闘するも
チームは勝てず、移籍3年目の81年オフに自身の直訴により
ヤクルトを優勝に導いた広岡達朗氏が就任。
根本氏の大雑把な放任野球とは正反対の管理野球の徹底によって
82年と83年に2度のリーグ優勝と日本一を果たした。
しかし84年にリーグ優勝が絶望となると若手主体の編成となり
打撃不振であった山崎は出場機会を少し失ってしまい、
この時に現役を引退した。
■特能等解説
守備力
結構悩んだがデフォに近いCに。
RFなどの指標参考にしたが、
広さというより堅実が売りと思われる。
走力
こちらも悩んだがデフォより少し低め。
二塁打や刺殺を参照した。
マルチ弾
80年は4回ほどであるが、
1イニング2発を記録。
チームプレイ○
繋ぐ打撃の印象があるが、
放任主義の根本陸夫監督時代の時なので非採用。
■備考
山崎裕之の在籍球団イメージ
— クラッシュ・バンディクー (@C5gs0BEmlVjJjD2) 2022年7月14日
なんとなく取ったアンケートでは
オリオンズ派がギリ多かったのですが、
西武時代の方がエピソード豊富で作りやすかったのと
西武時代の田淵幸一を作ってたので西武しちゃいました。