※仕様上、背ネームはPAWAPUROとなっております。
ご使用の際にご注意下さい。
平松政次(1970年)
岡山県立岡山東商業高等学校→日本石油
大洋ホエールズ、横浜大洋ホエールズ (1967~1984)
■成績 防御率1.95 25勝19敗
■主な記録
最多勝利 2回(1970年、1971年)
最優秀防御率 1回(1979年)
沢村栄治賞 1回(1970年)
ベストナイン 2回(1970年、1971年)
驚異の切れ味のカミソリシュート
憧れの長嶋茂雄氏のいる巨人入りを目指して
アマチュア時代から活躍したものの、
2度のドラフト会議にて巨人から指名されることはなく
67年に大洋ホエールズに入団。
入団後即1軍で起用されるもプロの力の前に
中々アマチュア時代のような
成績を発揮することはできなかったが、
3年目の69年の春季キャンプの時に投げたシュートが
予想以上の変化をしてチーム内で注目を集め、
試合でも投げてみると4点台だった防御率が2点台まで改善。
以後のシュートを武器に憧れだった長嶋茂雄氏など手玉に取り
70年には最多勝と沢村賞を獲得。
この姿から巨人キラーと呼ばれ、巨人から金田正一氏つぐ
2位である51勝を上げることとなった。
現役末期から怪我に悩まされる機会も多くなっていったが、
低迷するチームを支えて83年に200勝を達成。
現役引退を表明したが慰留されるも、
結局燃え尽きるようにして翌年84年に引退した。
引退後は解説者やホエールズ・ベイスターズOB会の初代会長や
横浜ベイスターズ・スポーツコミュニティの初代理事長を歴任した。
■特能等解説
オリ変
デフォのカミソリシュート。
パワナンバーに上げてるのから移植。
確認しましたが多分本物です。
移植が本当シンドかった
驚異的な切れ味
カミソリシュートの威力を更に上げるため。
闘志、短気
エピソード多数。
あの1年上の星野仙一に向かってゆく姿などから。
闘志はプロスピAで採用されてたり
対強打者○を採用しなかった代わりになどの意味合いなども。
負け運
勝率56.8%、チーム勝率54.8%と
ギリギリ勝ってる方ではあるが、
QSを達成しての敗戦が8試合など援護のなさが目立つ。
また後年のイメージも合わせて。
■備考
副産物として作った驚異的な切れ味+カミソリシュートの
継承選手も一応置いておきます。多分あってるとは思うのですが、
カミソリシュートが純正かどうかは怪しいので
ご利用の際にはご注意下さい。