【パワプロ2022】鈴木啓示(1978年)

鈴木啓示(1978年)

育英高等学校
近鉄バファローズ (1966~1985)

■成績 防御率2.02 25勝10敗

■主な記録
最多勝利 3回(1969年、1977年~1978年)
最優秀防御率 1回(1978年)
最高勝率 1回(1975年)
ベストナイン 3回(1969年、1975年、1978年)
野球殿堂競技者表彰(2002年)

草魂

入団1年目から速球派投手として10勝上げ、
近鉄のエースとして活躍。左投げという事もあり
「セの江夏、パの鈴木」と並び称された。
しかし72年頃から奪三振などの成績が低下。
球の強さだけで抑える事での限界を感じ
74年から監督に就任した西本幸雄監督などの始動により
投球スタイルを直球主体から
配球を重視した技巧派のスタイルに変更。
4年ぶりの20勝を上げ復活を果たし、
78年には最多勝利と最優秀防御率の2冠を達成した。

しかし79年以降は怪我との戦いが始まり
苦しいながらも先発完投投手にこだわり
自慢となったコントロール
不審で引退を考えた81年以降は84年まで2桁勝利を上げ、
その84年には日本プロ野球で最後の通算300勝も達成した。
しかし85年にアキレス腱を痛めて走れなくなるなど
体の限界を感じ現役を引退。

引退後は解説者として活躍しつつ93年に古巣近鉄の監督に就任。
しかしその指導法で立花龍司氏や立花氏を慕っていた
野茂英雄氏らと衝突。公で同人物の批判する発言をするなど
かなり自己中心的な事が目立ち
95年に成績不振によりシーズン途中に解任。
引退後に再び解説者に戻り、
監督時代の自身の振る舞いを反省している
コメントを残している。

■特能等解説

変化球
デフォからフォークを71年頃に投げていた
スズボールを意識してSFFに変更。
これだけの大投手だが決め球と呼ばれるものは
72年以前の直球以外見やたらない。
強いてあげるなら金田正一のカーブを意識して開発したカーブだが、
本人はあまり曲がらなかったと発言している。

ノビC、重い球

gendai.ismedia.jp

デフォにて搭載。しかし愚直に勝負するが故の被本塁打を多さや
比較された江夏豊と比べると簡単に打てたとも発言する方もあり
更に本拠地の藤井寺球場ではボール自体が軽かったとも
言わいるので球が重かったかどうかは懐疑的である。
今回は既に技巧派に転向した時代の査定なので、
ノビC程度に抑える事にしました。

対左打者B
そんな78年の被本塁打数21だが、
左打者から打たれたのはロッテのレロンリーの1本のみ。

不屈の魂

古き時代の先発完投型へのこだわり。
79年以降は怪我に悩まされる事になるが、
引退前年には17完投を記録。
投げたらアカンが投げてしまう
そんな鈴木の愚直な性格を表してる金特だと思う。

球持ち○

投球フォームにおける体の開きを意識しているという発言もある。

内角攻め
バッテリーを組んだ有田修三の強気なリードとの相性。