【パワプロ2022】金田正一(1958年)

※年齢に誤りがあります。正しくは24歳となります。
ご利用の際には修正してご使用下さい。

金田正一(1958年)

名古屋電気高等学校→享栄商業高等学校(中退)
国鉄スワローズ (1950~1964)
読売ジャイアンツ (1965~1969)

■成績 防御率1.30 31勝14敗

■主な記録
最多勝利 3回(1957年、1958年、1963年)
最優秀防御率 3回(1957年、1958年、1965年)
沢村栄治賞 3回(1956年~1958年)
ベストナイン 3回(1957年、1958年、1963年)
野球殿堂競技者表彰(1988年)

唯一無二の400勝投手

豪放磊落な人物で時に行き過ぎた行為も
行うほどの闘志に満ちた名投手。しかしその豪快さと裏腹に
当時としてはかなり緻密なコンディション管理を行い、
弱小球団と呼ばれた国鉄スワローズの投手事情を支え
プロ入り8年目にして通算2000奪三振を達成し、
64年には14年連続20勝達成。その後巨人に移籍するも
持病の左肘痛などもあって出場機会が減り、66年に現役を引退。
巨人はその練習姿勢や偉大な記録を称えて
金田が付けていた34番を4例目の永久欠番した。

引退後は解説業やタレント活動を行いつつ
72年にロッテオリオンズの監督に就任。
木樽正明氏や有藤通世氏を見出して2年目の
74年にリーグ優勝を果たした。
しかし76年にプレーオフでの阪急への敗戦や
選手との溝などのあって退任。退任後は解説業を再開しつつ
78年に日本プロ野球名球会を設立。
その後89年に再びロッテの監督となったが、
91年に最下位となりロッテが川崎から千葉の移転という
出来事もあって再び解任。

2度目の解任後は精力的な解説業を行なわなかったが、
その物怖じしない性格から出る発言によって様々な問題も起きた。
2019年10月に急性胆管炎による敗血症で死去。
お別れの会には野球界や芸能界から多くの著名人が
金田の死を偲んだ。

■特能等解説

球速
プロスピAの同年度査定から-2。
球速に若干の陰りが見えてきてたという
情報もあるとの事なので、
速球派の面影も残しつつのラインを。
コナミ的にもMAX160キロ読みからの
微下方をしてるかも知れない。

闘魂
精密機械の小山、鉄腕の稲尾など
比較的同時代の名投手には金特があって
金田にないのも寂しいと思ったので色々考えたのですが
結局これに落ち着きました。
次点でクロスキャノンというのも考えましたが、
恐ろしく名前がダサい金特なので却下。
効果はこっちのが若干好みだったりしたのですが。

威圧感
闘魂の採用+リリーフ時の成績が芳しくないため不採用。

ケガしにくさB
夏場に肘痛に苦しむ。

荒れ球
相当な荒れ球投手。ストレートの威力も増すため採用。
同様にコントロールもイメージでギリギリAいかないように調整。
データ面から計算するとAは全然あると思う。

ナチュラルシュート

seesaawiki.jp

ともぴーさんリスペクト。
本人曰く直球が横に散ったとのこと。
変化球の中でシュートを投げていたという話もあるため採用。

キレ○、緩急○、対ランナー○etc
ともぴーさんリスペクトの青特制限。
というかあれこれ考えだしたら本当色々入りそうだったので
特能はある程度ピックアップした形にしました。

ナチュラルシュートなしver

※こちらの金田の出身が静岡になってしまってますが、
正しくは愛知ですので使用の際には各自の修正お願いします。
申し訳ございません。

という事で前回の王同様ナチュシュなしの
オーソドックスなのも作りました。
ナチュシュの枠には個人的にギリギリまで入れたかった
対ランナー○を採用しております。

column.sp.baseball.findfriends.jp

本人が強気にそう言ってるからね!!!