【パワプロ2022】門田博光(1981年)

 

門田博光(1981年)

天理高等学校クラレ岡山
南海ホークス (1970~1988)
オリックス・ブレーブス (1989~1990)
福岡ダイエーホークス (1991~1992)

■成績 .313 44本 105点

■主な記録
本塁打王 3回(1981年、1983年、1988年)
打点王 2回(1971年、1988年)
最高出塁率 3回(1981年、1987年、1988年)
最優秀選手 1回(1988年)
ベストナイン 7回(外野手部門 1971年、1976年、1977年、指名打者部門 1981年、1983年、1988年、1989年)

後の不惑、初の本塁打王

70年にドラフト2位で南海に入団すると
走攻守揃った選手として野村克也兼任監督のもと
主に野村の前を打つ上位打線を兼任。
しかし野村解任後は大振りでフルスイングする
長距離砲に転向。転向後1年目は思うような成績は出ず
更に翌年79年にはキャンプで右足のアキレス腱を断裂。

シーズンを棒に振ってしまう事となったり、
中距離打者時代の武器であった守備と足回りの力を
失ってしまった事になったが、この事がキッカケで
足に負担のかからないホームランに特化するスタイルへと
更に進んでいき、怪我からの復帰1年目の80年には
当時の自身のキャリアハイを大葉に更新する41本を記録。
翌年81年は序盤こそ不調気味であったが、
7月に月間16ホームラン打ち出すと最終的には44本を打ち
ホームラン王を獲得する事となった。

■特能等解説

基礎能力
査定年数が違うのではあるが、
全体的にデフォより基礎能力を盛る事にした。
怪我前の俊足好守のイメージを若干残すため。

ラインドライブ

sportiva.shueisha.co.jp

classicstats.doorblog.jp

門田自身はライナーのような打球を意識していた。
またこの年は右翼が左翼より長い大阪球場での
ホームランは少ない傾向を少し考慮した。

威圧感
敬遠8回。少し物足りないが
翌年以降の避けらっぷりを考慮して。

マルチ弾
マルチホームラン6回。

対左投手B
44本中14本は左投手。

送球C
基礎能力の所でも語ったが、
同僚であった広瀬叔功曰く怪我前は
正確な送球をしていたとの事。
また以後の守備機会は少ないものの、
それなりに補殺が出来ているため。

満塁男
満塁ホームラン2本。

選球眼
IsoD.121。

ケガしにくさE
脱臼グセ。
Dにして回復Dにするか悩んだ。

併殺
併殺数10

■備考
ひっさびさに真面目に内容書いたものを作りました。
ネット資料のみなんで前の山内同様読み取り不足があるかも知れません。
そうでしたら申し訳ございません。記事削除にて対応致します。